こんにちは。あなたの自分づくりをちょこっとサポート「しまらぼ」のしまもとです。
あなたは普段、どのようなことに疑問を抱いていますか?
この日本の行く末はいかにというスケールの大きな疑問から、明日の天気はどうなるのかな?といった身近な疑問まで、人間は疑問に思うことで頭を使って考え始めます。
思考力(考える力)がない・弱いと感じている人は、この「疑問に思う」という機会が少ない可能性があります。この記事では思考力と疑問に思うことの関係性について触れていきたいと思います。
考える力とは
考える力とは簡単にいえば、「ある問いに関する答えを、自分自身で思考し導き出すことができる力」と表現できます。
例えば、以下の複数の様子に当てはまる人は、考える力が身についていると解釈されます。
あれこれと指示を受けなくても、次にどうすればよいか考えることができる
成功や失敗の原因を自分なりに分析してみることができる
問題や課題への解決方法を、自分自身で見出すことができる
周囲の人の考えをもとに、自分なりの答えを導き出すことができる
そしていま、子どもたちであれば「主体性」を高めるために、大人たちであれば「社会人基礎力」を高めるためにこの考える力が求められています。
与えられた仕事をほぼ完ぺきにこなせる人工知能・AIと共存していくためにも、私たち人間側はこの考える力を発揮し、新たな価値を創造しつづけていくことが必要と思われます。
疑問に思うことが考える力を育む
考える力を身につけていくためには、当たり前のようですが、多様な物事について自ら考えるという作業が大切になってきます。この作業を単発ではなく、繰り返し行い習慣にすることができれば理想的ではないでしょうか。
そして、考えはじめる起点となるのが、何かについて疑問に思うということです。その対象となるのは、以下に示すような身近なものでも十分だと思います。
信号の緑のランプをなぜ青信号と呼ぶの?
土用の丑の日にウナギを食べるのはなぜ?
無理してでも皆勤賞を目指した方がいいの?
絶対に1日3食を食べないといけないの?
どうして月はいつも同じ面を地球に向けてるの?
そして、グーグル検索等でその真相にアプローチすることによって新しい発見や意外な発見があったり、知的好奇心を刺激されたりすることで、また何かについて疑問に思ってみようという流れが生まれることが期待されます。
考える力を身につけていくためには、何か特別なトレーニングを実施する以上に、身近なことに疑問を持つということを習慣化していくことが最も大切であると思われます。
例えば、このブログのドメイン名にもなっている「目標設定」に関していえば、目標に似た言葉に課題や目的があります。この目標、課題、目的の違いってなんだと思いますか?
こんな身近なところにも、疑問を抱くことができるテーマはあります。一つひとつの意味を改めて注意深く確認してみると、新たな発見やより確実に目標の達成を目指していけるヒントが見つかると思います。
以下の2つの「関連記事」では、目標、課題、目的の詳細について解説をしています。
◆課題と目標の違いについてはコチラ↓
◆目的と目標の違いについてはコチラ↓
もう一つ、私は大学で主にスポーツ心理学の授業を担当していますが、そこでも以下に示すような素朴な疑問を学生側へ提示し、各グループでディスカッションしてもらっています。
体育やスポーツの「楽しさ」って何?
「チームワーク」が発揮されるって具体的にどういうこと?
「メンタルが強い」って具体的にどういうことができること?
普段、何気なく使っている言葉に改めて疑問を持ち、深く考えてみることで、その言葉が意味する事象をより明確にできるとともに、「物事の本質」にアプローチしていくチカラをトレーニングすることができるのではと感じています。
「疑問に思わない」を強化してしまうもの
その1 : 親の対応
子どもは知的好奇心の塊のようなもので、あれは何?これは何?それは何?どうして?と大人が困ったしまうほどさまざまなものに疑問を抱いていて、考える力がトレーニングされる理想の状態といえます。
ですが、そのような状態も一番身近にいる親が「いま忙しいから後にして」「そんなこと知らないわ」「うるさい」等と否定的に対応してしまうことで変わってしまう可能性があります。
子どもからすると、自分のこの疑問は受け入れてもらえない、疑問に思ってはダメなんだと感じられ、その後、疑問に思うことを徐々にやめていってしまうということです。
確かに、子育て世代の親は常に忙しくて、子どもの一つひとつの疑問にその都度丁寧に対応している余裕は無いかもしれません。
ですが、長い目でみると、否定的に対応してしまうことの代償は思った以上に大きいといえそうです。
なので、比較的余裕がある時には、「どうしてなんだろうね」「一緒に調べてみよう」と同じ目線に立ちながら、子どもたちの素朴な疑問に付き合ってみてはいかがでしょうか。
その2 : 暗記重視型学習
次に学校教育に目を向けてみます。
学校での勉強の最大の目的は、テストでいい点を取ることといっても過言ではありません。そのための作業として、多数の知識の暗記が行われることがあります。
英単語や熟語、数式、地名、年数、人物名などなど、それら暗記した知識をもとに問題を解いていくという形です。
私も中学・高校生の頃、「これを暗記しておけばテストでいい点を取れる」と先生からいわれた記憶があります。
そういわれれば、生徒側は覚えることをただ重視して与えられた知識についてそれ以上深く考えようとはしません。
例えば、数学の公式であれば、なぜこのような公式が導かれるのか?歴史のある年数であれば、なぜこの時期にこのような重大な出来事が起こったのか?といった感じです。
もちろん、学習における暗記そのものを否定的に見ているわけではありませんが、それに偏りすぎると、「疑問に思わない」という思考習慣を強化してしまう可能性があるということです。
その3 : 周囲に合わせすぎる姿勢
私たち日本人は和を尊ぶ民族として、一人ひとりが協調性を発揮することができます。ですが、いつもいつも周囲の様子に合わせてばかりいては、自分で物事の是非について考える力が弱まってしまう可能性があります。
コロナ禍では社会全体としてマスクの着用が当たり前になっていましたが、例えば、周囲に誰もいなくても、屋外で常時マスクを着用する必要があったのでしょうか?
確かに、周囲と同じであることで心理的に安心できるという面もありますが、そのことばかりを優先しすぎてしまうと、思考停止の状態が長くつづいてしまいます。
マスクの着用をはじめ、当たり前になっている生活上の習慣に改めて疑問を向けてみると、新たな発見や気づきがあるかもしれません。
その4 : 情報との付き合い方
高度情報化社会を迎え、私たちの手元のスマホには日々膨大の量の情報が絶え間なく届けられています。次はその情報との付き合い方についてです。
あなたはそれらの情報をどのように受け取っていますか?『ふむふむ』『なるほど』と熟読したり、内容によっては喜び、驚き、悲しみ、不安、イライラ、怒りといった感情が伴うこともあるでしょう。
そして、毎日届けられる情報を鵜呑みにしてしまっている場合、あなたの疑問に思わないという姿勢は強化されている可能性があります。
いまは誰もが自由に情報を発信できる時代です。このブログもその1つですが…。インターネット上にあるそれらの情報はすべて正しいものといえるのでしょうか。
その真偽について深く確認することなく、すべてを鵜呑みにするというのはいささか問題がありそうです。
例えば、私のメールアドレスには、有名な企業名や大学名等を装った迷惑メールや詐欺メールが頻繁に届いています。気を抜くとうっかり開封してしまいそうな表現力です(笑)
また、届けられる情報が全くの偽物でなくても、場合によっては発信者側に知らず知らずのうちにコントロールされてしまう可能性もあります。
マスコミをはじめとする情報を発信する側は、何らかの意図や思惑とともに情報を流している場合があり、情報をもとに世論を誘導することも可能です。
そして、それが実現してしまうのは、受け取る側の私たちがそれらの情報を疑いもなく、鵜呑みにしてしまう時ではないでしょうか。
子どもから大人まで主体性が重視される社会において、自らの考えにもとづき判断し、行動していくためにも、まずは目の前の情報に対して『本当?』『どうして?』『この情報が発信される意図は?』と適度に疑問を抱いていくことが望ましいですね。
その5 : 個人の性格特性
「人の話を素直に聞く」というのは、先生や上司、スポーツであればコーチ・指導者といった目上の人との関係を良好にする上で大切になる時があります。
ですが、なんでも『はい!わかりました!』と従順に反応していては、「疑問に思わない」を強化してしまうおそれがあるでしょう。
例えばあなたが子どもの頃、親の言うことに『はい。はい。』と素直に反応しつづけていましたか?その場合、目上の人のいうことに疑いを持たないという姿勢が普通になってしまっている可能性があります。
このような相手の言うことに順応に反応しようとする姿勢は、性格の一面としても理解することができます。
「エゴグラム」という有名な性格検査では、人の順応的な一面を「順応的な子どもの自我状態」としてとらえ、その程度を調べることができます。
興味・関心がある方は、以下の「関連記事」よりチェックしてみてくださいね。無料でエゴグラムを検査できるサイトも紹介されています。
繰り返しますが、目上の人の指示に従順に反応するというのは、その人物との関係を良好にする上で大切です。
子どもの頃、あなたが親のいうことに従いつづけていたならば、それはその家庭環境に適応するために必要なことだったと思います。
ですが大人になったいま、その素直さにはさらなる進化が求められているのではないでしょうか。
まとめ
わたしたちは誰もが平等に頭脳を与えられています。その上で「考える力がない」という表現は適切なのでしょうか。
力がないのではなく、その力が未だトレーニングされていない、発揮されていないととらえる方が望ましいはずです。
考える力を身につけていく上でのコツの1つは、身近なことや世間で常識とされていることに疑問を抱くであり、そしてそれを習慣化していくことです。
社会を大きく変える可能性を秘めているのは、そんな疑問に思う力を身に付けている人たちなのかもしれません。
◆ 最後までお読みいただき、ありがとうございました!以下の姉妹記事もぜひご覧になってみてくださいね。
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