人生のパートナーやビジネスパートナー、そして、日々活動をともにする仲間など、誰もが誠実な人とかかわりを持ちたいと思うはずです。
では、その誠実な人とはどのような人物のことをいうのでしょうか。なんとなくイメージはできても、その実態については曖昧な部分が多いのではと思います。
この記事では、最強のヒューマンスキルまたはビジネススキルともいえる誠実さについて詳しく解説をしていきます!
誠実さとは
辞書を確認すると、誠実さ自体は次のように説明されています。
嘘いつわりがなく、心の底から思って事に当たるさま。 実直でまじめなさま。 または、その度合い。
◆―関連情報―◆ 誠実さとは?わかりやすく解説
説明が複数にわたりますので、私なりに誠実さをシンプルに定義してみると、以下の一文に要約することができると思いました。
相手に信頼感を与えることができる人柄。
つまり、一緒にいて『この人、信頼できるな』『この人になら自分のことをもっと話せるな』等と感じられる人の特徴ということです。このように明確に定義することで、誠実さとは何かが徐々に見えてくると思います。
また、誠実さそのものは大きく2つに分けてとらえることができます。一つは個人的な誠実さであり、もう一方は対人的な誠実さです。
前者はあなたが一人で活動する中で発揮されるものであり、後者は自分以外の他者に対して発揮されるものと理解することができます。
つまり、誠実な人物になってくためには、個人的と対人的、この両面の誠実さを理解し、身につけていく必要があるということです。
それでは、この2つの枠組みにもとづきながら、誠実さについてさらに詳しく説明していきたいと思います。
個人的な誠実さ
繰り返しますが、個人的な誠実さとは主にあなたが一人の場面で発揮されるものとなります。ここでは5つの側面に言及していきます。
その1: 向上心がある
向上心がある人は常に何かしらの目標を持っています。それは大きな目標かもしれないし、現状の一つ上の目標を持ちつづけている様子かもしれません。
また、人間は目標があることでその達成に向けて懸命に取り組む様子が見られます。それは言い換えれば、自分という人間を包み隠さず表に出して取り組んでいるということです。
そんな様子を通して周りの人物は、「あなた」という人間をより深く理解することができます。
その2: 努力を継続している
人は誰しも自分が置かれた環境の中で、結果を出すための努力をしています。さらに、その努力を継続するためには、モチベーションを適度な水準に保つ必要があります。
そのためには、モチベーションアップに向けた手立てとともに、普段からメンタル面をネガティブな状態に落とさないという方策も必要になりそうです。
そこで心がけたいのが、現状に対して不平不満を言い過ぎないという点です。人間はどうしても不満を言いたくなることがありますが、度が過ぎるとモチベーションに負の影響を及ぼしてしまいます。
また、不満ばかり口にしていると、あなたのイメージ(セルフイメージ)自体も低下してしまうおそれがありますね。
その3: 有言実行である
自分で『やる!』といったことはきちんと行うことができるという姿ですね。これはある意味不言実行よりもプレッシャーがかかる様子ではないでしょうか。
有言実行が体現されていく背景には、『自分なら必ずできる』といった自信も関係していると思います。
その4: 責任感がある
自らの役目・役割として、任されたことは最後までやり遂げるといった様子ですね。社会の中では誰もが何らかの役割を担い、生活をしています。
私たちの社会が健全に回っていくためには、このような一人ひとりの責任感がとても大切になってきますね。
その5: 私利私欲に走らない
より正確には、自分自身が精神的に辛い時でも、自らの利益のみを優先したりしないといった様子になります。
自分だけの利欲よりも、例えば、他者と共有する全体としての利益に価値を置いている姿ですね。
対人的な誠実さ
こちらも繰り返しますが、対人的な誠実さとは自分以外の他者に対して発揮されるものとなります。個人的な誠実さ同様、5つの側面に言及していきます。
その1: 迷惑行為をしない
例えば、自分の思い通りにいかなくても、モノや人に八つ当たりしないといった様子を表します。
また、モノや人に直接八つ当たりしないにしても、一人声を荒げたりイライラしている様子を表に出すと、周囲にはネガティブな影響を与えてしまうことになりそうです。
その2: 礼儀作法が身についている
私たちは知り合いや関係者に対しては、基本的に失礼のないように振る舞うことができると思います。では、街中ですれ違うだけといった感じの面識のない人に対してはどうでしょうか。
ここでいう「礼儀作用が身についている」とは、そのような面識のない相手にも失礼のないよう対応することができる様子を表しています。
その3: 寛容である
いまの時代、人々の価値観や考えは多様化し、さまざまなコミュニティの中で円滑な人間関係を構築することをより困難にしている面があると思います。
ここでいう「寛容である」とは、特に自分とは異なる価値観や考えを持つ人物を受容し、互いに良い刺激を受けながら、生産的に付き合っていくことができる様子を表します。
このような寛容さは、多様な人物を導いていく指導者やリーダー、上司(中間管理職)において強く求められる側面ではないでしょうか。
◆ カテゴリー:コミュニケーション
その4: ルール・マナーを遵守している
誰でも気持ちに余裕がある時やこころ穏やかな時は、ルールやマナーをきちんと守ることができていると思います。ですが、急いでいる時や余裕がない時であればどうでしょうか。
ここでいう「ルール・マナーを遵守している」とは、そんな心穏やかでないときであってもきちんと自制し、ルールやマナーを守ることができる様子を表しています。
◆ カテゴリー:コミュニケーション
その5: 感謝の気持ちがある
私たちは時に誰かのことを支え、また誰かに支えてもらいながら、相互補完的にこの社会というものを形成しています。
また、このような相互補完的な関係性は、当然ながらあなたのすぐ身近にも見ることができます。
その後者の関係性をより強固なものとしていく上で、感謝の気持ちを相手に言葉で伝えるという行為は非常に大きな役割を果たしています。
よく感謝の気持ちを持つことの大切さが取り上げられますが、それ以上に大切なのは、その気持ちをいかに言葉で表現できるか(言語化できるか)ということかもしれません。
◆ カテゴリー:思考
誠実さを身につけるメリット
ここでは3つのメリットについて言及していきます。
メリット1 : キャリアアップしつづけられる
誠実な人は向上心があり、与えられた環境の中で継続的な努力を怠りません。努力する姿勢をつづけられるのは、適度な難易度の目標をもちつづけているからです。
懸命に努力するという姿勢が独立して表出しているわけではなく、そこには適度なやる気を喚起し、それを維持できる目標設定が重要な役割を果たしています。
当然のことながら、このような継続的な努力は学業やビジネス等において結果を出すことに確実につながっていくことでしょう。
また、あなたの誠実さに魅力を感じる人物から、さらなるキャリアアップにつながる推薦や仕事の依頼を受けられる可能性があります。
黙々と頑張っている人のことは、周囲の誰かが見てくれているものです。まして誠実な人物となれば、きっと誰も放っておかないのではないでしょうか。
メリット2 : あなた自身も誠実に対応してもらえる
あなた自身もそうであると思いますが、私たちは信頼を寄せることができる誠実な人とかかわりを持ちたいと願うはずです。
言い換えれば、あなたが誠実な人でありつづける限り、周りの人もあなたに対して誠実に対応してくれるということです。
あなたのその誠実さは確実にあなた自身に戻ってくるとともに、良好な人間関係の構築につながっていきます。
また、そのような円滑な人間関係は、日々の生活への満足度を高める上で大きな貢献をしてくれるでしょう。
メリット3 : 人として成長しつづけられる
誠実さを表す特徴を改めて一覧にすると以下のようになります。「1」~「5」が個人的な誠実さを、「6」~「10」が対人的な誠実さをそれぞれ表します。
- 向上心がある
- 努力を継続している
- 有言実行である
- 責任感がある
- 私利私欲に走らない
- 迷惑行為をしない
- 礼儀作法が身についている
- 寛容である
- ルール・マナーを遵守している
- 感謝の気持ちがある
これらの特徴を総じていえば、あらゆる職業的立場に関係なく、その人自身を特徴づけるもの、またはその人自身の成長を表すものということができます。
上記の一覧を日々意識的に実践し、誠実でありつづけることによって、紛れもなく一人の人間として、人として成長しつづけていくことが可能になるのではないでしょうか。
なお、このブログでは一人の人間として成長していく様子を自分づくりとして表現しています。
このブログ「しまらぼ」では、あなたの自分づくりのサポートを目的とした記事を発信していきますので、ぜひこれからもチェックしてもらえるとうれしいです。
誠実さを身につけていくために
個人的誠実さと対人的誠実さ、優先すべきはどっち?
基本的な方針としては、個人的な誠実さを高めることを優先すべきと考えられます。
その理由は、対人的な誠実さは他者との関係性の中で発揮されるものであるため、そこではコミュニケーションスキルの発揮も同時に求められることになり、難易度としては比較的高いものになってくるからです。
◆ カテゴリー:コミュニケーション
また、個人的な誠実さと対人的な誠実さは、専門的にいうと正の相関関係にあることが示されています。
つまり、個人的な誠実さを発揮できている人は、対人的な誠実さも発揮できている傾向にあるということです。
もっとわかりやすくいえば、自分自身に誠実である人は、人に対しても誠実であるということですね(あくまでも相関関係なので、もちろんその逆もありますが)。
この記事では個人的な誠実さとして以下の5つを挙げました。私自身がこれを見て思うのは、向上心があるからこそ人は努力を継続できるだろうという点です。
そのように考えると、まずは自分にとっての理想の姿を思い描き、その実現のための目標を設定することが、誠実さを身に付ける出発点となるのではないでしょうか。
- 向上心がある
- 努力を継続している
- 有言実行である
- 責任感がある
- 私利私欲に走らない
『誠実な人になりなさい』と言われてすぐになれるわけではなく、目標の達成に向けて日々懸命に努力する過程において各能力要素が磨かれ、結果として誠実な人に近づくことができている、という流れが現実的ではないでしょうか。
誠実さを高めていくための心構え
2022年7月に実施された参議院議員選挙の選挙戦において、ある野党の候補者の方が次のようなフレーズを主張していました。
「今だけ、金だけ、自分だけ」になってしまっていないか?
現職の政治家をはじめ、現代を生きる国民一人ひとりの心構えについて問いただしたものであったと思います。
私自身、とても印象に残った言葉でしたし、この記事で扱っている誠実さとも密接に関係すると思い少し紹介をさせていただきます。
今だけ、金だけ、自分だけになっていないか?
もちろん、生きていくためにはいまこの瞬間が大切であり、お金も大切、そして、自分も大切です。ですが、それだけにひたすら固執してしまうと、これまで、私たちの社会が大切にしてきた本質的なものを、ないがしろにしてしまうような気がしてなりません。
少しでも余裕がある時は、「今だけ、金だけ、自分だけ」になってしまっていないかと意識するだけで、例えば、私利私欲に走らないという面は抑制することができるのではと思います。
いまを生きる私たちの役目の一つは、次の世代へバトンを渡していくことです。今だけ、金だけ、自分だけの意識でいて、その役目を確実に果たしていくことができるでしょうか。
いま、私たちが平和で快適な日々を享受できているのは、前の世代がバトンをつないでくれたからにほかなりません。
忙しい日々の中でも、そのことをきちんと認識できていれば、誠実的な態度は自然と形成されていくのではないでしょうか。
自分自身への戒めも込めて、最後に記させていただきます。
まとめ
誠実さを一言でいえば、人に信頼感を与えることができる人柄です。この記事では誠実さを個人的なものと対人的なものに大別し、それぞれを5つの側面から解説しました(1~5:個人的/6~10:対人的)。
- 向上心がある
- 努力を継続している
- 有言実行である
- 責任感がある
- 私利私欲に走らない
- 迷惑行為をしない
- 礼儀作法が身についている
- 寛容である
- ルール・マナーを遵守している
- 感謝の気持ちがある
これら個々の特徴を身に付けている人の様子を想像してみてください。あなたはその人からどのような印象を受けますか?きっと、『信頼できそうだな』『一緒に活動したいな』と思うはずです。
では、そんな誠実な人は一体どこにいるのでしょうか。そう。意識次第であなた自身がそのような魅力的な人物になっていくことができるはずです!
コメント
[…] 参考:しまらぼ:誠実さとは何か? 誠実さを高める心構え […]
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタインの理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズムにんげんの考えることを模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのも多神教的発想なのでは。